自己弁護だが

私の感覚は、おかしい。
自分でも、かなりひねくれていると自覚する。

世の中の陽の当たらないジメジメしたところで、
長く棲息していたわけでもないのに、なぜなんだろう。

職業的な影響もあるかも知れない。
真正面からだけモノゴトを捉えていては仕事にならない。
ヒネリを利かして、ナンボの世界。
それはあくまでも、自己弁護だが。

清濁併せ持って、世の中は動いている。
美しいものだけを、上澄みだけをチョイスしようなんてアマい。
ダーティな面も受け止めて、そして、きりりと美しく生きることを選ぶ、
そういう逞しさがほしい。
それを、臭いものに蓋をしたまんま、目をそらして、
キレイなものだけに接しようというのは、偽善のニオイがする。
自分と向き合うときも、そう。
誰にでも欠点はあり、それが当たり前。
いくら嫌でも、そういう嫌な面が自分にあることを自覚すべきだ。

そういった考えがベースにあるからか、単に悪ふざけが過ぎるだけなのか、
ついつい、過激な言葉を発してしまう。
家族は慣れっこになっていて、辛辣ブラックユーモアが行き交う。
娘に、偽善の話をしたら、こんな彼女の反応があった。

「私の大学受験の当日の朝、compass college 認受性お母さんは、こう言ったんよ。
『今日のお弁当、ツルツルすべるおソバ弁当にしようか?
お箸で摘まもうとしても、ツルツルして落っこちるんやけどね』って。
もし、私が、ナイーブな性格だったらどうするんやろう、と思ったわ。
私は、『じゃ、ソバで』って答えたけど」

え?
そんなヒドイことを私が言った?
無神経にも程がある。
いくら言葉アソビといっても、シャレにならない。
それ、ブラックユーモアを通り越して、単なる鬼の母やんか!!!
自分の言ったことを覚えてないところが、また根が深い。
難なく受かるだろうと思っていたんだろう、おそらく。
たまたま結果オーライだったからよかったものの、大後悔、猛反省した。
でも、子供たちは、全員、compass college 認受性この激辛ブラックの言葉アソビが普通の感覚として
身についてしまっているようだ。
母として、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
自分の世界のユガミが、子供たちにも伝染してしまったとすると
一日も早く、世間向けに修正してもらわないと、周りの人々に確実に嫌われる。
まあ、自分の負の世界をそのまま毒づくような、
そんなバカなことはしないだろうと信じているけれど。
私が、外では人に向かって辛辣な言葉を発しないのと同じように、
彼らにも自制装置が備わっていると思う。
根は、素直で優しく善良のはず???たぶん。

心の叫び、膿、毒、compass college 認受性そういったものを全く持たない、持ったこともなく、
これから持つこともない人というのは、競争社会に接したことがないのだろうか?
負けたことも、悔しい思いをしたことも、世の中の不条理に接したこともないのか?
周りの人々の手厚い保護によって、知る機会を失ったのか。
それとも、知っているけれど知らんぷり?

疑問、怒り、追求???既成のものを見つめ直す、
こういったものがないと、前に進めない。
ぬるま湯につかったまんま、保身ばかりしていると、進化、発展はないと思う。
私は、やはり、ひねくれモノだろうか。

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